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LCS-THG B ソフトキャリングケース
純正ケースが好きなんだけど、これはいまいち・・・。T9をケースに入れるとケースの方が若干一回り大きいので、中でコロコロ。ケースの質感・頑丈さやT9の出来がそれぞれいいだけに、二つ合わせると、しっくりこない感じにちょっとがっかり。
■Tami的に:★★★
***
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12月27日(MON)
Sony CyberShot F77

 クリスマス雰囲気まだ漂う感じでしょうか?街の中はそういったイルミネーションでいっぱいです。デジカメでオートでしか撮れないよ〜って機種でも夜景モードにすると(当たり前な話)シャッタースピードを落とすことができるので、やっぱ夜景には夜景モードでしょうか。ってな感じ。

ハウルの動く城』映画館にて

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 ネタバレ有り要注意。こちらからトップページへ。ベタですが『ハウルの動く城』観てきました。面白かったです。

 いろいろ不可解なところあり明快さに欠けるのですが、世界観に浸りうっとりできただけでも、もうけものです。

 ここからネタバレ注意!序盤、帽子屋のシーンで「ハウルに心臓食べられる」なんて言ってる女の子がいましたが、あとあと最後らへんで「荒野の魔女」が水を掛けられ心臓と化した「カルシファー」を自分のモノにしようとします。

 その線から見ると、どうもなんとなく実際に心臓を好んで食べてるのは「荒野の魔女」なのかもしれないということ「ハウル」は世間ではよく分からない存在で「心臓を食べられてしまった美人がいた」っていう話を、「荒野の魔女」が心臓を好んで食べていたのにもかかわらず、物語上のうわさ話として物語の中でそういった話を流行らせていたのかもしれません。

 あと、「マルクス」の存在。映画見た後、公式サイトを見たので、ハウルの弟子だとは知りませんでした、もちろん観ているうちに弟子なのかな?ってことは分かってきますが。にしても「マルクス」はどんな人物でなぜハウルに弟子入りしてるのかとか背景が全く分かりません。

 物語中その説明も一切ありませんし、それに触れることも何一つありませんでした。ただ分かるのは「ハウルの弟子」だと言うこと。公式サイトによると「マルクス」は身寄りがないとのこと、幼くして身寄りがないというのはかなり訳ありじゃないでしょうか?そんな臭いをによわすことなく物語は進んでいくわけで・・・。

 序盤ソフィーがカルシファーを使い朝食を作って皆で食べるシーンがあるんですが、その朝食にがっついてもぐもぐ一生懸命食べてるマルクス。滅多にハウルが朝食なんて作らず、日頃あまり美味しい温かいモノ食べれてないのかな、とか思うとほんとマルクスが愛おしいです。涙。

 物語中の戦争って言うのもどことどこが戦ってるのか(ハウルにはそんなこと関係ないようですが)分からないし(分からなくてもいいかもしれません)、カブがなぜ呪いが掛けられてそうなったのかもあまり触れるところがなく、ただ少し分かったところは「カルシファー」と「ハウル」が出会った時のこと、こうやって「契約」が交わされたんだなってのがちょっと出てくるくらい。

 結局「ソフィー」の呪いも解けたのかもどうかも分からなかったし・・・。でもでも自分はハウルが最後にソフィーの髪がキレイだねと、ほめるシーンがあるのですが、おばあちゃんの髪質から若い女の子の髪質になってそれに気付いてハウルがソフィーの髪の色がキレイだねと言ったので、そこで呪いが完全に解けたのかなと自分は少なくともそう思いました。きっとそうなのかもしれません。

 あと、中盤以降「ソフィー」が若くなったり老けたりと「形態」が感情とともに感情のようにめまぐるしく変わること。

 何がスイッチになって変わるのか読み取れませんでしたが、何となく「気の持ち方」なのかなとそう思ってやまないです。

 テーマとしてパッと見の高齢化社会への問題、世界で起こってる紛争(戦争)の問題って言うのはちょっと安易すぎてもっと深いモノがあるのかもしれません。そんな感じです。

 ハウルは絶対的強力な魔力・魔法を持ってるんですが何かその横顔には、さみしさがあり何か満ち足りないことがあるのかなって(自分は)感じました。

 そうそうハウルが魔法学校で契約してうんたらかんたらっていう触りも契約書がちょっと写るくらいでしか触れてなく、「サリマン」との間柄も物語中ではなんとも説明不足でした。荒野の魔女とのエピソードもほとんどないし。

 どうしても、やっぱり「マルクス」の存在が気になります。ソフィーがいなくなるかもしれないってシーンには「一緒だよ」と言いソフィーにしがみつく。

 よっぽど過去にさみしい思いをしてきたのかな。一生懸命仕えてなんでも「はい」「はい」といい子にいうことを一生懸命に聞くマルクスはかなり感慨深いモノがありました。

 「ここの他に行くところはないんだ、だからここで一生懸命ハウル様に仕えるんだ」と言わんばかり。本当にマルクスはソフィーの言うこともよく聞きいい子です。

 最後の最後、ハウルとカルシファーとの契約が解けカルシファーは自由に、そしていろいろあり城はカルシファーがある意味動力源だったこともあり、ほぼその契約が解けた時点では跡形もない状態。

 だけど、自由になったにもかかわらずカルシファーは「やっぱりみんなと一緒がいいや」と戻ってきます。そして最後の最後の最後のシーン、また動く城が大空に飛び立った時にはもう「ジーン」でした。

 正直宮崎駿作品を映画館のスクリーンで見たのは初めてでした。それを話半分差し引いても、深く心に「ジーン」とくる何かが一番強いのはこの『ハウルの動く城』だと思います。

 伏線張るだけ張っといてあとは観た人の解釈にゆだねる、そんな作品なのかなと、少しそう思います。支離滅裂ですがこれにて勘弁。

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